熟すものなんて何一つなくて

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今日、同僚のフランス人に「本当に22歳なの?とってもmatureに見えるね」と驚かれてしまった。

このmatureという単語は曲者である。「大人っぽい」や「成熟している」などと訳せばまあ褒め言葉として捉えてもよかろう。けれども「老成した」や「フケてる」などといった言葉に置き換えてしまうと我が身を省みざるを得ない。そしてきっと今日の場合は後者だ。最近の私はあまり良質な睡眠がとれていないので、目元がだぶだぶとしている。

以前のように、眠れないというわけではない。24:00前には眠りに落ちるが、明け方に半覚醒のような状態になってしまう。天井を見たり、枕元の時計の電気をつけた記憶がおぼろげに残る。目覚ましをセットしている6:30の私に寄り添うのは若干の倦怠感。

職場を変えて、やっと一ヶ月が過ぎようとしている。

精神は概ね良好で、職場でもそれはキープできているように思う。時折、自分のふがいなさや将来のことを考えてしまってネガティブの谷に降りていくこともある。一度降りると、しばらくはそこに滞在して、干上がった谷川のほとりでうずくまってしまう。

もう仕方なくない?この頃、ポジティブな人や発言に出くわすと気分を害してしまうほどになっている。これが続くと心が貧しくなるんだろうか。

貧しいと言えば、とりあえず目下、私の頭を悩ませているのは睡眠と金。

金がない。

新卒一年目なんて貯金できるものなのだろうか。そこまで金遣いが荒いはずもないのに、銀行残高は減る一方。新しい職場での給与は来月10日まで入ってこない。つい、この日曜日はコンサート運営の手伝いバイトをしてしまった。8時間ほどの拘束で1マンエン。

実家にいれている金が、どうやらひとの話を聞いていると私は相場より多い。まあそれについてあれこれ言うつもりはないのだけれど。何にそこまで出費しているのか。転職活動でかかった交通費や写真代などの出費。たった2週間の無職期間における国保の支払い。Podcast収録の経費。ジム代。ああそうだ、前職を辞めた時に払い戻した定期代。とくに考えずにノリで決めた大阪・京都遠征の飛行機代とホテル代。交通費。交通費。交通費。

私は普段の出費は基本的に「zaim」というアプリで記録しているのだが、こうして振り返ってみると「どうしてこんな時期にこう使うの?」という出費もある。記録のなかに紛れる「LINE Pay:3000円」などがまさしくそれである。己をぶん殴りたい。(ちなみにこの額は友人の誕生日プレゼント代である。)

そういえば、現職の定期代も自分で建て替えているのだ。はあ。給料日が遠い。

金がないぞ、給料日早くしろと心で訴えると同時に、雇用される状態というのはお金を稼いでいる実感が日々において少ないなとも思う。今自分が生み出している価値はいかほどのものなのか。わからなくてとても不安になってしまう。それについて1つここに書く。先日あまりに自分が何も価値を産み出せてないと職場で思ってしまった私は、頼まれてもいないのに上司のデスクや引き出しにちらばる現職員の履歴書などをかき集め、社の労働者名簿を更新した。案の定、やんわりと、しかしはっきりとオランダ人上司に諭されてしまった。「why are you so in a rush? you don’t have to do that.」と言われてしまった。赤い靴を履いていたわけでもないのに、青い目をした異人さんに心を連れてかれそうになった。「どうして私はそんなに焦っているんだろう?」

(関係ないけれど、異人という言葉のもつインパクトが凄い。異なる人。みんなそうじゃね?)

焦った先に待つものはなんだろう。成長だろうか。はたまた、冒頭に出てきた成熟だろうか。

成熟という言葉。スーパーのパン売り場でよく見かける言葉だ。

それは超熟だろう。はい、良いツッコミですね、早かったです。

「成熟」したくてたまらないのだ。私は最近。

ふと我に返ると、その成熟という言葉が表す状態がどういうものなのか、自分のなかに明確な像は描けていない。仕事をマルチタスクでバリバリこなす人だろうか。自分自身の芯をもっている人だろうか。自由気ままにふらふらと生きている人だろうか。そういうのも一切ない。私はただ頭でっかちに「成熟」したくてたまらない。成熟馬鹿と呼んでいただいてもきっと差し支えはない。早く色々なものを得て、今のこの不安定な自分を脱ぎ捨てたい。今いるここからできる限り遠くへ行きたい。そんな気持ちばかりが追いかけてきてしまう。目指す先に待つものが見えていたり、わかりやすい目標像を据え置いているのなら良いものの、私の場合はそういったものは何一つない。空欄。ポジティブな人たちの言葉遣いを借りるならば「伸びしろ」。ふざけるんじゃない。伸びしろなんかではない。「何もない」のだ。ネガもポジもそこには干渉してこない。私の前に見えているもの、私を囲むものはemptinessでしかないように思えてしまう。

成熟しているわけないじゃないか。そんな私が。そうだろう?

新しい職場では小さな子供とも触れる機会が格段に増えた。彼ら(あるいは彼女ら)はみるみるうちに足が大きくなって上履きが履けなくなり、目を離せば道で最期を迎えようとしている蝉に水と葉っぱの布団をかけている。思い通りにいかなかったら腹の底から泣き、癪に障る奴がいたら腕を引っ張る。また来週、といって別れた次の月曜日には身長が3cm伸びて、全身が真っ黒に日焼けしていたりする。

私は、私なんかよりも、私が職場で毎日目にしているこの子供らの方がよっぽど「成熟」に近い存在だと思う。ひょろひょろとした蔓を伸ばし、蜜月にはたわわな実をぶら下げる葡萄のように、芸術作品としてそこに存在しているように思える。

題目「成熟」。

まあ、1日の終わりに振り返るとそう思えるだけで、実際に目の前で対応しているときにはそんな子供らに対してこの畜生と思うことは多々ある。私はなんてったっていまだ成熟していない22歳男性ゲイだから、ぐずってごねる男児に無理やり靴を履かせてドアの外に放り出したりする。

社会というもの、不特定多数が共存する広場が怖い。未成熟。

大人が怖い。大人にジャッジされてしまうのも怖い。未成熟。

お金の使い方と稼ぎ方がわからない。未成熟。

なにより自分の持っている時間が怖い。未成熟の極み。

私は今、どんな形をしているのだろう。何になれるのだろう。何かを成し遂げて何者かになりたい。そのために何をすればいいのだろう。

ほらね、何一つ、熟してなんかいないじゃないか。

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