コーギィ、誰?ゲイ?Podcaster?彼氏は?調べてみた!

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お先真っ暗、とは言わんが暗中模索の日々

   

調べるまでもない。

 

 

 

はじめまして、コーギィと申します。

TwitterやPodcastなどを通して既に私のことを知ってくださっている方にとっては、冒頭の画像は見慣れたものだと思います。しかし。

  

誰だよ、お前。至極まっとうな疑問だと思います。あなたの脳に浮かんだそれは全く間違ってなんかいません。

 

私は現在、「今夜もここにゲイがいる。」というポッドキャスト番組を配信しております。

ポッドキャスト。アルファベットで書くならPodcast。簡単に説明すると、インターネット上で誰でも気軽に聴けるラジオ番組のようなものです。

2017年1月から「若ゲイのいたり」というポッドキャストを配信しはじめ、2018年8月からは前述のポッドキャストを配信しています。つい先日、新たに日本語学習用ポッドキャスト「Touch Japanese with Gay!」を配信開始した為、全部で3つの番組を配信してきたことになります。

インターネットの外では、東京近郊に住みつつ、東京のさびれた街でせこせこ働いております。私が普段なにをしているのかは、Podcastでもときどき話しているので興味のある方はそちらでチェックしてみてください。

ブログの最初には、書いている本人のことを書くのがメインストリームらしいです。Podcastで話したことのある内容もあるかもしれませんが、ボソボソとあちこちでしゃべっているものをここに集約します。

 

 

ピアノと少年

私の学生時代について、特に義務教育下にあった頃のことを書きましょう。

5歳の頃からピアノを習っていました。姉が習っていたクラスについていったことがはじまりでした。そこから20歳になるまで、ずっと続けました。

今はもう消えつつあるかもしれませんが、ピアノ練習に関しては「1日休めば3日休んだことになる。」という風潮がありました。毎日繰り返し指を動かし、白と黒の鍵盤に触ることでやっと人並みにピアノが弾けるようになるのだと。そんなトレンドに則り、放課後は毎日練習していました。学校から帰るとタイマーをアップライトピアノの上に置き、決められた時間になるまではずっとピアノから音が出ていなければいけない。指は動いて、目は楽譜を追っていなければいけない。

そんな日々でしたから、同世代の、特に男の子たちとの付き合い方や遊び方を学ぶことをおろそかにしてしまったように思います。

「おいコーギィ!野球しようぜ!」

そんな気安い男の子たちの誘いに応じたところで、速く走ることも、飛んでくるボールをキャッチすることもできない私はただの木偶の坊。恥をかくことや、「男の子なのに」スポーツができない自分を再認識させられることなどが嫌でした。たまらず私はいつも彼らの誘いを断ってばかりでした。

とはいっても、小学校には休み時間があるじゃないか。ええ、ありました。25分間休みというものがありましたし、1時間目が始まる前には朝休みもありました。そういうときにコーギィは一体なにをしていたのでしょうか?

音楽室にいました。

壁中に小さい穴がたくさん空いている部屋。古くて調律も合っていないグランドピアノ。ささくれ、軋むドアと割れた窓ガラス。そういった風景を今でも色濃く覚えています。私が当時どれだけ長い時間をそこで過ごしていたかがわかります。

バイエルやブルグミュラー、ツェルニーなどの入門者用の曲集を練習し、次のレッスンまでに仕上げなければいけないモーツアルトやベートーベンのソナタを弾いていました。校庭から音楽室に誰かがいることがわかってしまうのを恐れて、電気もつけず窓も閉めた音楽室でひとり、ピアノを弾き続けました。

家では椅子にしばりつけるようにされながら嫌々練習をしていたのに、うまく同世代と馴染めない私が学校で逃げ場にしていたのは他でもない、ピアノ椅子の上だったのです。ピアノの練習は、コミュニケーション能力の低い私にとってのちょうど良い言い訳だったのだと思います。その椅子に座ってピアノを弾いていれば、誰とも話さなくても、誰にも自分を開示しなくてもコトが済んでしまう。

当時の私は小学生にしては小太りで、体力テストの50メートル走は13秒台でした。ドがつく近眼で、分厚い眼鏡をかけていました。姉が観ていたアニメ「カードキャプターさくら」を一緒に観て、姉がもっていたおもちゃで遊び、姉が呼んだ女の子の友達らと一緒に遊んでいました。小学校の卒業アルバムを開くと、可愛らしいピースを片目の前に掲げながら艶やかなポーズを決める私が見つかります。「女々しい男の子」というカテゴリに入れられていました。両親はいつも「もっと男の子らしくしなさい。」と言っていました。「スポーツをしなさい。」と。

小学校6年生の時期を終え卒業式を迎えるまで、そんな状態のまま日々を過ごしていました。ピアノと本に逃げた、人見知りで少しだけ感受性が強い、ぽっちゃりした人間のまま。

中学校に入ると、そんなぷくぷくボーイにも変化が起きます。恋をしたのです。

初恋と山の精霊

第二次性徴、あるいはただの成長期に伴い、私の身長もすくすくと伸びました。結果的に、現在と同じ167cm前後でその成長も止まってしまうのですが…。横にぽちゃっとしていた私の体型はそのまま上向きに引き伸ばされ、全体的な体型のバランスはずっとよくなりました。もう、同級生にデブと呼ばれることはなくなりました。

中学校に入ると、本格的に部活動がはじまります。運動不足かつ陰気な私の将来を慮り、母親はしきりに私をテニス部へ入れようとしました。親の言うことには逆らえない「優等生」気質な子供だった私は体験入部でテニス部の門を叩きますが、試しにやらされた腹筋が一度もできなかったので早々にドロップアウトしてしまいました。目指したのはまたもや音楽室。吹奏楽部が活動するその部屋からは楽しげな音楽がとても大きな音で聞こえてきました。あれよあれよと言うまに入部手続きが進み、私はサックスという楽器の担当になりました。

その吹奏楽部は、毎夏開催される全国大会や関東大会にも出場するようなハードな部だったため、朝練も昼練も、もちろん土日も活動がありました。もうだんだん、おわかりですね。私はまたもや、1日の大半を音楽室で過ごすような人間になりました。

部活動以外の時間では、勉強をしているか、本を読んでいるか、委員会活動をしているか、といった日々でした。半端な優等生気質を捨てきれなかった「良い子」な私は、委員会決めのときのプレッシャーに耐えられず、誰もが嫌がる「学級委員」に手を挙げていました。学級委員は普段の仕事の他に、社会科見学や修学旅行に向けた仕事もあります。嫌々やっていた学級委員ですが、良いこともあったのです。気づいたら修学旅行実行委員になって(やらされて)いたような夏、私は初めて恋をしました。

 

修学旅行の夜に行うキャンプファイヤで、生徒と先生方とでひとつの寸劇をやるのが習わしとなっていました。学年主任扮する山の神をお迎えするために火を焚き、生徒扮する山の精たちがその周りに集まり、踊ります。今ふりかえってみると、中学生がキャンプファイヤでやる劇にしてはスピリチュアル要素の強いシナリオでした。教職陣に吉本ばななファンでもいたんでしょうか。

修学旅行実行委員の私にふられた仕事は、山の神と山の精たちのキャスティングです。めぼしい生徒や、やりたそうな生徒に声をかけて、出演をお願いする仕事でした。その中に、彼がいたのです。

とにかく目立っていました、彼は。190cmをゆうに超える体躯では、ある種、閉じられた小さな村のようなものである「学校」という環境のなかで異質な存在にならざるを得ません。離れたクラスにいて、話したことは一度もなかったけれど、以前から背の高いやつという情報だけは知っていた私は、彼のいる教室へ出演依頼に向かいました。

朝、1時間目がはじまる前に足を運ぶと、彼はまだ登校していませんでした。迷いましたがあとでもう一度くるのも面倒だと思い、ノートの切れ端に出演依頼の旨を書き記し、彼の机の上に置いて去りました。

その日の昼休み。

私はいつものように音楽室のある棟の階段で昼練習をしていました。吹奏楽部の部員たちが音楽室だけでは収まりきらないので、階段や踊り場、廊下に散らばって練習するのです。

私がメトロノームを見ながらひたすら音を伸ばし続けるロングトーンという基礎練習をしていると、彼が来たのです。そう、私が山の精になってくれないかとお願いした彼です。

手紙読んだよ、ありがとう。彼はそう言いました。

俺で良いの?彼は、少しはにかんだ笑顔でそう言いました。漫画かと思いました。

私よりも30cm以上も高いところにある彼の目は綺麗な黒色で、日に焼けた肌は私がこれまで持ったことのないものでした。

「いいの?じゃあ、お願いします。」

予期していなかった事態に少し慌ててしまって、ぼそぼそと小さな声でそう返事すると、私はすぐに練習に戻ってしまいました。

すげえな。

彼はまだそこにいました。私の楽器を見ています、いえ、触っていました。サックスという楽器はタンポと呼ばれる布が付いた丸い蓋のようなものがたくさんついている楽器で、彼はそれらのうちのひとつを指でパカパカ、勝手に閉じたり開いたりしながら言いました。

男で楽器とかやんの、格好いいよな。すげえ。

なんて雑な褒め言葉だったのでしょう。あまりに雑すぎて、今でも簡単に思い出せます。

 

その日、音楽は私にとっての逃げ道ではなくなりました。そう、そのときだったと思います。

 

 

しんどい第二次性徴

そんな中学時代が過ぎ、のちに迎える3年間の高校生時代。私は本当にめちゃくちゃでした。今思い返せば、身体の変化と精神の変化を中途半端に自覚してしまったせいで、気にしないようにすることもできなければ、それらをハンドルすることもできなかったのが原因だったように思います。

相変わらず馬鹿でかい身長のヤツは、廊下で見かけるたびに胸が苦しくなるし、話しかけられれば内心であわてふためき挙動不審になってしまう。アホな私は奴と同じ高校に行きたい為に、受験する学校を変更しました。本当に若くて何も知らなかったのです。彼しか見えていませんでした。彼は女の子と「普通に」付き合ったり、別れたりしていました。見ていたから知っているんです。知っているだけなんですが。

自分はいわゆる「ゲイ」なのかもしれない、と思ったのは中学3年生くらいの頃だったと思います。前述の男の子のことは変わらず想い、慕っていましたが、いわゆる片想いの状態から発展することはありませんでした。「男が男に恋をする」ことは「あり得ない」ことで「気持ちの悪い」ことでした。「誰かにバレたらやばい」ことでもありました。「なんだかよくわからないけど、どうやら自分は他の男子たちと同じ道の上を歩いていなさそうだぞ」という気づきは、すぐに不安に変わりました。一度意識してしまうと、友達の前にいるとき、授業を受けているとき、先生や親と話をしているとき、家にいるとき、どこにいたって自分の言動が他者にどんな印象を与えているのか、気にせずにはいられませんでした。絶対に自分が「ひととは違う」ゲイであることがバレてはいけない。そう思いながらの日々を送っていました。

私が高校生だった頃、それは2013年とかそこらの頃。インターネットもすっかり普及し、スマートフォンさえ出てき始めた頃。高校1年生ではじめて自分専用の携帯電話としてスマホを得た私は、さまざまな情報を調べまくりました。「ゲイ 高校生」「ゲイ 診断」「ゲイ 日本」…。けれども出てくるのは少し淫らな経験談ばかりのった掲示板や、動画サイトばかり。確かにそちらの方へ興味がなかったわけではありませんが、当時の私が求めていたのは「ゲイとして生きること」が一体どういうことなのか、知ることでした。ひたすらにネットサーフィンを続けていると、ひとつのブログに出会いました。

「旧 トロントのハッテン車窓から・・・」

こちらのブログです。

書かれているのは日本人でカナダのトロントにお住まいのキャシーさん。学生時代のあとくらいからカナダへ単身留学、そこからずっとトロントでの生活を続けられている方です。最近はtwitterの更新なども見かけなくなってしまいましたが、私が高校生だった当時は、ほぼリアルタイムで外国のゲイ事情について知ることのできる、とても魅力的なコンテンツでした。現在はブログを移転されてこちらで更新を続けられています。

プライドパレードの記事では、ほぼ全裸のようなコスチュームをつけているひとの写真があったり、男同士でキスしながら、あるいは女同士で最高の笑顔で抱きしめ合っている写真があったり。すべてが未知で、すべてが私の目には魅力的に映りました。住んでいるマンションのプールスペースにゲイかもしれない人がいた話、恋人ができた話、ビザが切れてしまう話、トロントという街のカルチャーの話…。そこに綴られたあまたのエピソードにいちいち関心しながら、「いつか行けたらいいなあ」くらいに思っていました。

その後、幸運にも私はトロントへ足を運ぶこととなります。

 

また、高校生時代、親とも仲良くできなかった私がテレビのない一室に閉じこもって情報源としていたのがラジオでした。オールナイトニッポンやFMの朝の番組を聴きながら、ラジオ独自の文化に染まっていきます。おたよりなんかも送ってみたりしちゃって。「お耳の恋人」とはよく言ったものですが、私は耳から流れてくるラジオパーソナリティの声にじっとり付着し、それを頼みの綱としながら日々を過ごしていました。当時放送されていた「小島慶子とミッツ・マングローブのオールナイトニッポン・ゴールド」を聴いていた方はいらっしゃいますか?とある時期におたよりを送って目立っていた「やなぎくん」が作った歌詞「青春ラブストーリー」に一番最初に音楽をつけて番組に送りつけた「わっけい」さんというリスナー、実は私のことなんです。

カナダのトロントの情報をみていくうちに、どうやら英語で調べた方がゲイに関する情報を格段に多く得ることができる、と気づきました。進学校で、特に英語教育に力を入れていた公立高校にたまたま在籍していた私はそれまで以上に英語の勉強を頑張ります。全ては、自分の存在についてより多くのことを知るため。今思い返せば、その作業は自分自身のことを知るためではなく、「ゲイ」についてを知ることだけにとどまっていたと思うのですが…。

より生きた英語を勉強していくなかで、Podcastと出会います。きっかけは「バイリンガルニュース」。

聴き始めた当時の私の英語力なんてたかが知れていますから、もちろん内容はほとんどわかりません。けれども辛抱強く、なんとかしてもっと英語を身につけたい、もっとゲイについて情報を集めたい、そんな思いでほぼ毎日そのPodcastを聴いていました。

Podcastというものが私の生活の一部になる頃、日本人のゲイによるPodcast番組があることにも気づきました。当時はまだiTunes上にあった「つーか、もうゲイでよくね?」さんや「明日もゲイ」さんなんかです。

うわあ、ゲイの人が喋ってる。初めて耳にしたときはただそう思いました。テレビなんかでは「オネエ」や「オカマ」といったキャラクターのひとたちが時折見受けられましたが、そのPodcastから聞こえてくるのはザ・日常。仕事のこと、人間関係のこと、生活のこと、過去のこと、未来のこと…。私が少しずつ築いてきたゲイに対するイメージに肉をつけてくれるような、そんな存在でした。インターネット上の情報を骨とし、Podcastからの声を肉とする。そこでやっと、「ゲイ」が本当に実在するものだという実感が私のなかで湧き上がったのだと思います。

その当時はまだ、ゲイである自分を受け入れることはできていませんでしたが、「ゲイ」に対するイメージが大きく変わっていったのが私の高校生時代です。

 

 

大学生になれば広がるものもあった

初めて、ゲイのひとと実際に会ったのは大学一年生の夏、18歳の頃でした。

自分のPodcastでそのときのことは散々話しているのでここでは割愛しますが、その人は38歳で、フランス人でした。

初めて会うといっても、目的は別のところにあったため、そこでの出会いがすぐさまポジティブな収束に向かうことはありませんでした。ただただ罪悪感と羞恥心に震えながら、中央線に乗って帰ったことを覚えています。

そのことを皮切りに、私はいわゆるゲイ向けアプリを使って少しずつ、少しずつ色々なゲイの人と会うようになりました。ほとんどの場合が、肉体的な接触をメインとするものになってしまいましたが、取り憑かれたようにその行為を続けていました。そうやって自分と同じゲイに会っても、どれだけ触れ合っても、自分自身の抱えた「ゲイ」に対する嫌悪感や不安感、自分存在に対するよるべのなさは一向に解消されませんでした。今振り返れば当然です。どれだけたくさんの人に会おうとも、その人となりを知ろうとしなければ、自分の胸襟を開いて相手と自分との間にコミュニケーション用の道を開通してあげなければ、なにも得るものはありません。当時の私はとにかく数をこなせば見えてくるものがあるんじゃないか、そう思っていました。スタンプラリーと変わりません。少し過激なスタンプラリー。

そんなその日暮らしのようなアプローチを続けていると限界がやってきます。くろぐろとしたもの、ぬちゃぬちゃしたものが少しずつ心に堆積していきます。大学の同期のひとたちや教授とのコミュニケーションもうまくいかなくなりました。趣味もなくなります。あれだけ調べていた海外のゲイ事情にも関心がいかなくなり、けれども手持ち無沙汰のままな現状をなんとかして改善したいという思いでランニングを始めたり、観葉植物を育て始めたり、歌を作ってギター弾き語りをしたり、迷走していました。

 

こんなんじゃダメだ。私はダメになる。そう思って、大学二年生の秋。

私はカナダのトロントに飛びました。

 

トロント滞在最終日、オンタリオ湖のほとりでじっと水面を眺めていました。

まだ昼の残る空。隣に当たり前のようにゲイカップルが座っていた。

トロントで色々な人と会って、色々なものを見て、色々な「セクシュアルマイノリティとの共存」の形にふれて、湖のほとりで思い返すのは豊かな思い出ばかりでした。

昼と夜の境目の空がレインボーに見えた。

ああ、私でも、こんな私でも、「気持ち悪」くて「ひとにバレたらおしまい」な「ゲイ」である私でも生きていていい場所が、世界のどこかにはあるんだ。そう思えました。動く水面をぼーっと眺めながらそんな考えがふと頭に飛び込んできた直後、私は号泣しました。声が大きくならないように抑えながら、でもそんなことは無理だからまるでゲボでも吐くんじゃないかといった様相で、泣いていました。ひとりで、ちいさい東洋人が薄暗がりのなかで泣いているのです。おだやかではない。中国にいる「泣き女」という商売人を思い出させます。

空がこんな色になる頃には、現地でできた友人との
最後の時間、お別れパーティの時間が迫っていた。

なんとかなるかもしれない。私は日本に戻っても、なんとかやっていけるかもしれない。ゲイであっても、ゲイであることによって閉ざしてしまった心も、なんとかなるかもしれない。そう思えました。

「ゲイであること」に対してむやみやたらに「どうしよう」と悩んでいて、「ゲイであること」という事実がとんでもなく重たくて大きくて、闇雲に負担だと感じていた日本生まれ日本育ちの私に、トロントという「世界で一番LGBTQが住みやすい街」が投げかけてきた言葉は、「ふ〜ん、あんたってゲイなんだ。で?他には何をしてるの?何がやりたいの?どう生きていくの?」だった。

日本に帰ったら、何か動いてみよう。社会の中の居場所は自分で見つけられるものかもしれない。こんな私にもそれはできることかもしれない。

そんなことを思いながら、お別れパーティが開催されるクラブへ走りました。人生初のクラブでした。

 

 

次の日、空港に向かうバスで私の座る座席の前にゲイカップルが乗ってきました。2人は軽くキスをして、互いの手を包んでなにやら小さな声で話しています。大きなスーツケースを2つ持っていた彼らに私は自分の席を譲り、自分はバスの一番後ろの席に移動しました。ありがとう、と微笑む2人のことをゲイカップルだ、と勝手に私が判断しただけかもしれません。日本での日々とは違って、日常にゲイがたくさん見えてくる場所にいたから、自然と脳がそう処理してしまったのかもしれません。

でもきっと、ゲイかそうでないかなんて関係なしに、ひととひととが繋がれる社会であったほうがいいんだろうな。空港が見えてくるころに、私はそう思いました。

「ゲイであること」をまるでお菓子のおまけみたいに捉えられないかな。そんなことは可能なのかな。

ゲイであることを、あくまでただの付随要素として位置づけながら生きていけないかな。

 

日本に帰国した私は、ゲイであることを糸口にして社会に参加したいと思い、2つのことを新たに始めました。

1つは、HIV抗体検査などを提供しているNPOでのインターン。組織の一員として動くこととはどういうことなのかを知りたかったのです。たくさんの貴重な経験をさせていただきました。

2つ目は、Podcast。2017年1月に配信をはじめました。

そこから、これを書いている今まで、はや2年半も経ってしまいました。

色々しんどいことも、嬉しいことも、とんでもないことも起きました。

こんな風に今過ごしているなんて、2年前の私は想像さえしていませんでした。

けれども、トロントにいて私のなかで何かが変わったあの瞬間に、さあやってみようと動き出せたこと。よかった、本当によかったと今では思います。微々たる活動で、社会へ与えるインパクトなんて全然足りないのだけれども、私は少しずつ「私」というものにフォーカスする準備ができつつあります。肉欲を満たすだけの関係ではなく、たくさんの人に出会い、その背後に広がる感情の変遷や経験値にふれることで、私自身の価値観がどんどん更新されていきました。まるでシャワーみたいに。体にへばりついていた過去の自分が作り上げた垢のようなものを洗い流す、勢いのあるシャワー。ノアの箱船の話を、実際にあった話だと信じてしまいそうなほど、清々しいシャワー。

 

 

こんな感じで長ったらしい自己紹介は終わりにします。

とても尻切れとんぼで、中途半端に思えるかもしれないけれど、それは仕方のないことだと思います。何かをまとめあげるには私はまだ若すぎるし、知らなすぎる。むしろここからやらなければいけないことは山ほどあって、つけなければいけない力もたくさんある。中途半端で何かと及ばない今の私をまるっと認識してやらなければ、日々はとても辛いものになってしまうということもなんとなくわかってきました。

コーギィ、ゲイ、Podcaster、人間。

あと何かあるかな?

 

私はまだ、「私」のままで社会のなかに飛び込んでいくことを諦めたくない。

私は、以前の「私」のように社会に怯えて生きていたくない。

 

 

そんな私ですが、どうぞよろしくお願い致します。

Podcastも聴いてね。続けていくからさ。

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こんなに長い文章を、活字離れが激しいと叫ばれるこんな時代に読んでくれてありがとう。

 

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